JF全漁連のウエブマガジン「サカナディアSakanadia」の連載
『ニッポンさかな酒』にて、
「鯖寿司と京の酒」の記事が掲載されました。
https://sakanadia.jp/sakana/sabazushi_kyoto/
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酒癖がわるく、すぐ人にからむクセのあった詩人・中原中也は、あの太宰治にも絡んだ。
そのとき、こんなことを言ったそうだ。
「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって」
さすが中原中也の言葉は的確だ。
このやりとりを知って以来、鯖をみると、
知らずしらず太宰治の顔が浮かぶようになった。
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さて。
この夏、京都で鯖寿司を食した。
京都に美味しい食べものは多いが、わけても鯖寿司が好きだ。
京の都に、海はない。
そのむかし、魚はすべて塩漬けか干物でしか食べられなかった。
鯖もそうだ。
若狭で水揚げされた鯖にひとしおして、山を越えて京に運ばれてきた。
なので、この道は、鯖街道とよばれている。
都に着くまでの二、三日の間にちょうど良い塩加減になったそうだ。
いまもこの食文化が、鯖寿司として引き継がれている。
京都の鯖寿司は、祭りなどのハレの日につくられた家庭料理だったが、
おいしい鯖寿司屋さんもたくさんある。
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立ち寄ったのは、祇園坂下にある鯖寿司屋さん。
鯖寿司は鯛、海老、穴子や卵のはなやかな押し寿司とともに
きれいに盛りつけて運ばれてきた。
江戸の寿司は客の前で握るが、京では客に職人の仕事は見せない。
完成品を提供する。醤油はつけずに食べる。
そんなこんな、江戸と京との文化の違いがある。
京の寿司が醤油普及以前の食べものだから、
醤油をつけないという説もあるそうだ。
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包まれた昆布をにゅるりとはがして、鯖寿司をみつめる。
脂のノリがいい。身が透けている。
青みがかった銀色の皮がうつくしい。
極上の鯖は身がぴんぴんし、塩をしても酢をあてても、撥ね返すほどだという。
ひとくち食べる。
と、昆布のだしがきいた、鯖の滋味深い味わいが染みだしてくる。
上品な脂、酸味、魚肉のたんぱく、ご飯の甘い味わいが渾然一体となって、口のなかに広がる。
この店の酒は西宮の「白鹿」。
甘みのある寿司には、やわらかな口あたりのこの酒があう。
江戸の寿司とは酢飯もまったく違う。
江戸のシャリは一粒ひとつぶがきりっとしているが、
京はねっちりしている。
この店では、カツオと昆布のだしでご飯を炊くのだそうだ。
京寿司の特徴は「時差のおいしさ」といわれる。
下ごしらえに時間をかけ、すこし寝かせて食すのだ。
鯖寿司の昆布は食べないひとが多いようだが、
ぼくはこの昆布が好きなので、ぜんぶ食べてしまう。
けっこう酒に合うのだ。
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先日、京都に旅をした友人が、鯖寿司をおみやげにくれた。
これに合わせたのは、もちろん京都の酒。
伏見の藤岡酒造の「蒼空(そうくう)」純米吟醸・雄山錦。
蔵元が杜氏を兼ね、すべて手造りの純米酒。
青空を見上げてホッとするように、
飲んだ人がやさしい気持ちになれるような酒を造りたいと、この名にしたそうだ。
たしかに、さわやかな秋空のような飲み心地。
鯖寿司の脂をさらりと落としつつ、魚の味とよく合う。
土地の食べものには、やはり、土地の酒。
もう、これ以上は書くまい。
太宰治がひょいと顔をだし、
「酒をかたむけて、酵母を啜るにいたるべからず」
そして、照れ笑いしながら続けた。
「そう、鴎外がうまいこと言ってるよ」