そうか、漁師になる手があったのか!
日本全国の13人の漁師を取材。
漁船に乗り、波しぶきをかぶりながら、渾身の力を込め、
「漁師的生き方」を探ったノンフィクション。
数多(あまた)ある職業の選択肢から、漁業を選んだ若者たちがいる。
彼らの仕事ぶりを紹介しつつ、これからの時代に求められる漁師像を探る。
それはどんな世界でも必要な新しい「生き方」の模索だった。漁師になるガイダンス付
「はじめに」から抜粋
ぼくは、大学を卒業して以来18年間、定収のあるサラリーマンとして働いてきた。
そして、42歳のときに、フリーのライターとして独立。
「個人」として、新しい仕事をはじめた。
といえば、聞こえはいいが、
「組織」になじめず、飛び出さざるを得なかったのだ。
それまでは、「組織」という後ろ盾があって、
自分で仕事を探さなければという危機感もなく、
適当に飯を食えてきたわけだった。
交換した名刺を見ても、顔を思い出せない人もいたくらい、毎日毎日、数多くの人に会った。
どこか学生時代の延長のような、組織に守られた、ある種の安心感(甘え)、
無責任があったように思う。
(中略)
ぼくのような(個人の)仕事は、漁師の仕事に似ているかもしれない。
バカな会議もなく、尊敬できない上司に「ああだ、こうだ」と言われることもない。
自由に狩りをする喜びがある。
と同時に、交通費は自分持ち、定収も有休休暇もボーナスも健康診断も退職金もない。
しかも、狩りの成果は、天候などの自然の不可抗力があろうとも、自分の責任だ。
結果だけが勝負の厳しい世界。
今日、獲れたイワシが、明日また獲れるという保証はない。
漁師は波に揺られ続ける不安定な状態で、文字通り生命をかけて暮らしを立てている。
(中略)
似たような「揺れる職業」の者として、リアルな浜の声を聞いてみたい。
いま、若い漁師は何を思い、何を悩み、何を求めているのか。
かれらの言葉は、きっと、自分自身の生き方を考えることにもつながるだろう。
ぼくは、漁師用の合羽(かっぱ)を買い、真新しい長靴をはいて、
日本の浜をめぐる旅に出ようと思った。
- 神奈川・小田原のブリ漁師
- 鹿児島・甑島(こしきじま)のIターン漁師
- 北海道・日高の毛ガニ漁師
- 長崎・五島列島のタコ壺漁師
- 長崎・壱岐のUターン漁師
- 兵庫・明石のイカナゴ漁師
- 愛媛・宇和島の巻き網漁師
- 北海道・礼文のウニ漁師
- 山口・野島の底曳き漁師
- 沖縄・久高島(くだかじま)の海ブドウ漁師
- 鳥取・淀江の素潜り漁師
- 鹿児島・屋久島のトビウオ漁師
- 北海道・羅臼のサケ定置網漁師
漁師は、大自然のなかで、自分のもてる力と勇気を使って仕事をする。
個人として、世界とリアルに対峙する仕事だ。
しかも、獲るものは生きものの生命。
生命をいただいているからこそ、ぼくらは生きていくことができるのだ、ということも、
感じざるを得ない。
いま、このときも、玄界灘で、噴火湾で、東シナ海で、漁師たちは網をうち、おこし、
魚群を探索し、魚種の選別をしているだろう。
そうして、朝日がのぼる頃、透きとおったオレンジ色の光に照らされた瞳は、
潮の流れや雲行きや波の高さを測っているだろう。