ゼチェ・プラジニに一番近い、ロマンという町で夕食をとった。
チョルバ・デ・ブルタ(牛の胃袋などモツの入ったスープ)とマッシュ・ルームのソテー。チョルバにはサワー・クリームをたっぷり入れる。酸味とコクのハーモニーがいい。モツが柔らかく煮込まれていて、シャキシャキとぬるりの両方を合わせもつ食感を楽しみながら、パンを浸して食べるのも美味しい。
マッシュ・ルームのソテーに添えられているのは、ママリガというマッシュド・ポテトのようだが、色が黄色で、ちょっと粘りのある食べ物。
ヘルムートによると、トウモロコシからできた蒸しパンのようなもので、ルーマニアでは主食だそうだ。味はモロッコ料理のクスクスに似て、それがお餅になったような感じだった。
ブカレストから7時間、成田から30時間かかって、午後10時前に、やっとゼチェ・プラジニ村に着いた。
闇に沈んだ村はカエルの大合唱に包まれ、空にはくっきりと上弦の月が懸かっていて、天の河をはじめ、たくさんの星が東京よりずっと近い距離できらめいている。
ファンファーレ・チャオカリーアでテナー・ホルンを担当しているシューロ(37歳)の自宅が今回の宿泊先だ。
地図にもないルーマニアの「寒村」・・・電話も水道もなく、鉄道駅もないので、村人はスピードを落とした列車から飛び降りると聞いていたその村の民家はいったい・・・?と思っていたが、シューロの家はしっかりとした沖縄の家のようなコンクリート2階建て。水は井戸から自動ポンプ(これは村では唯一)で汲み上げ、蛇口から出るようになっている。瞬間湯沸かし器もあって、ちゃんと熱いシャワーも出る(ときどき、故障して水だけのシャワーになるが・・・)
闇の向こうから激しいリズムとこぶしの効いた独特のメロディーが聞こえてくる。
着いたのは土曜の夜。この村に2軒だけあるバーで、誰かが演奏をしているらしい。
ぼくらは早速、真っ暗な道を歩いてバーに向かった。
道々、闇の中から、一人ふたりとバーに向かう人の姿があらわれてくる。
なんだか、子供の頃、夏の宵に盆踊りに出かけたときのようだ。
そこだけ明るい光を放っているバーからは大音量が流れ出していた。東京なら近隣から即刻通報されて、警察が駆け付けてくる事態になる音量だ。
マネージャーのヘルムートは、「ライブのリハで音量チェックをしていると、ファンファーレのメンバーは放っておくとどんどん音量を上げていくんだ。この村の人は、みんな同じみたいだね」と笑う。
中に入ると、バンド(サックス、トランペット、キーボード)の前で、若い男女、そして子どもたちも輪になって踊っている。真ん中にいる女子高生みたいな二人が両手をあげ、腰を振って踊る姿がことにエロティックだ。
そういえば、チォカリーアのライブでも女性のジプシーダンスが売りだった。
みんなが踊り出すと、バンドもよりいっそう真剣にプレイしはじめた。
ぼくも思わず一緒になって踊ると、汗がほとばしり出てくる。
この熱気と汗の匂い!
「ああ、はるばるジプシー村にやって来たんだ」と思えた瞬間だ。