浅草奥山をぶらぶら歩き、馬道(うまみち)から、
江戸時代末期の芝居町・猿若町(さるわかちょう)を抜け、
浅草寺の子院のひとつ、「待乳山聖天(まつちやましょうでん)」にお参りしました。
待乳山は、標高10mほどの小高い丘。
大川のすぐそばにあって、
そのむかしは眺望がよく、
名所として文人墨客に愛されたそうです。
以前、お邪魔したときにはまったく気づかなかったのですが、
境内各所に「大根」と「巾着」の印がたくさんありました。
大根は身体健全、夫婦和合。
巾着は財福の功徳、をあらわしているそうです。
とくに大根は、心身を清浄にする聖天さまの「おはたらき」の象徴で、
聖天さまへのお供物とされているようです。
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ところで、待乳山聖天の門前は、江戸外食文化のはじまりの地だそうです。
明暦の大火(1657年)のあと、江戸で外食産業のきっかけとなったのが、
門前にできた「奈良茶飯屋」だと言われています。
奈良茶飯は、煮出した茶に大豆・小豆などを入れて塩味で炊いた茶飯に、汁や煮豆を添えたそうです。
これが江戸時代に町人のあいだで評判になり、
たくさんの奈良茶飯屋ができ、やがて市中にとどまらず、
川崎宿などの宿場でも奈良茶飯を提供する店ができたようです。
作家・池波正太郎が生まれた土地は、待乳山聖天のすぐ近くです。