続いては、ビール。
いま、クラフトビールがとても人気で、
いろんな種類の美味しいビールが生まれています。
小さな醸造所でつくる、個性的なビール。
いいですねえ。お酒の原点を感じます。
かつて、ぼくは、ビールやウイスキーを造る大きなお酒の会社で働いていました。
当時、1980年代、ビールは多様化していなくて、
なんだか味の固定観念にしばれていましたが、ぼくの勤めていた会社のビールは、
生ビールにこだわって、新鮮で飲みやすいものを造っていました。
でも、売れない・・・。
すると、新鮮でなくなるので、結局、美味しくなくなって、売れなくなるという
悪循環にはまっていたのです。
そんなとき、会社に入ってすぐの頃でしたが、
ビール工場で研修があって、3週間ほどビールが生まれる過程を勉強したり、
醸造釜や貯蔵タンクの掃除をしたりしました。
いちばん楽しみだったのは「官能検査」というテイスティング。
できたてのビールが飲めたんです。
喉ごしや後味が素晴らしく、その美味しさは、たとえようもありません。
いままでのビール経験で最高のものです。
どうしてこのビールが売れないんだろうと首をひねりました。
結局、ビールって「野菜」と同じなんですね。
鮮度が命なんだと、あらためて思いました。
そのビール工場が出てくる、当時、流行っていた、この曲。
荒井由美「中央フリーウエイ」。お聴きください。
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M2.荒井由美「中央フリーウエイ」 3:38
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さて、次は、ぼくの故郷、大阪。
大阪に行くと、ぼくは必ず、キタの堂島にある老舗のバーに行きます。
そのお店のハイボールが、めちゃくちゃ美味しいのです。
スタンディングで飲むのが、また、粋で、まさに大人のバーです。
グラスがまた独特。
10オンス(300cc)のグラスの下の部分、
ちょうど親指のあたる辺りに凹みがついていて、
とっても持ちやすいのです。
冷蔵庫でキンキンにひやしたウイスキーと炭酸水のみ。
氷は入れません。
なぜなら、ウイスキーも炭酸も冷えているので、氷を入れる必要がないからです。
氷を入れると、液体が薄まり、ガス圧が弱くなってしまうからです。
注ぐウイスキーの量は、ダブル。60cc。
カウンターに取り付けられた栓抜きで、炭酸のボトルをシュポッと開栓し、
ほとんど真っ逆さまの状態にして、
ウイスキーの入ったグラスに一気に炭酸を注ぎます。
マスターのその手もとを見ているだけで、爽快感があって、カッコイイ。
グラスに炭酸を注いだ後、ステアはせず、
レモンピールをシュッと搾って、できあがり。
寿司屋で握りを出されたときと同じように、すっと手を伸ばしてグラスをとって、クッと飲む。
炭酸のパンチがあって、ウイスキーも濃い。
舌の奥がほのかにしびれ、のどへのアタックも素晴らしい。
これぞ、最高のハイボール!
ぼくは、これを飲むために大阪に帰ります。
では、大阪といえば、このひと。
上田正樹と有山淳司で「あこがれの北新地」。
ほな、いってみまひょか。
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M3.上田正樹&有山淳司「あこがれの北新地」 2:56
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NHKの連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝が、
ウイスキー蒸留所をつくったのが、北海道の余市。
豊かな水と凛と澄んだ空気がそろった場所こそがウイスキー造りの理想の土地。
そうして、たどりついたのが、小樽の西、積丹半島の付根に位置する余市でした。
モルトウイスキーの原料である大麦や、
スモーキー・フレーバーを加えるためのピート(泥炭)が豊かにあることも、
余市を選んだ理由だったそうです。
当時の余市は民家もほとんどなく、ただ湿原の続く寂しい土地。
でも、マッサン竹鶴の目には、
海からの風の吹く原野こそウイスキーづくりに理想的な場所だと、
見抜いていたんですね。
長いスパンでものを見る、この洞察力。すごいですね!
夢を追いかけ、単身スコットランドへ渡り、
不屈の情熱で修行を重ねた竹鶴政孝。
奥さんのリタとともに、たいへんな苦労をして造ったウイスキー。
素晴らしい味わいです。
では、ぼくは会社員時代、
マッサンとは別の会社のウイスキーのCMを造っていましたが、
そこで使った井上陽水「いっそセレナーデ」を聴きながら、今月はお別れです。
網走の流氷をつかって、流氷ロックでウイスキーが飲みたくなってきました。
ご案内は、吉村喜彦でした。
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M6.井上陽水「いっそセレナーデ」 3:14
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